農園だよりDiary

2014年11

2014.11.19
 皆さん今日は。

 如何お過ごしですか。農作業が一段落した先月、20日から25日まで家内と二人で中国に行ってきました。今年の5月、3年間の研修期間を終えた「李 兆顔」が「秋になって時間が出来たら中国の私の家に遊びに来てください」と言って帰国しました。中国吉林省梅河口市、3年前にも前の研修生「万 春紅」の家を家内と二人で訪問しましたので二度目になりますが、今回はお邪魔して泊めてもらって中国の農家の生活体験をさせてもらうことにしました。20日午後、福岡空港から大連空港に降り立つと「李 兆顔」と「万 春紅」が迎えに来てくれました。涙もろい家内はさっそくハグして涙です。久しぶりの再会ですが3年間一緒に生活した者同士、ブランクは感じません。

 空港から大連駅に移動して19:30発、梅河口市まで寝台夜行列車での長旅です。飛行機が遅れましたので夕食は列車の中で中国味カップメン、パン、果物等。久々の再会で色んな話もしたいところですが寝台が3段で4人とも2段目、通路は狭くて人の通りが多く取りあえず寝るしかありません。狭い寝台に横になりイビキをかきかき10時間。朝6時、梅河口市に到着です。タクシーで二人の親戚の店に到着。朝食を食べ、休憩して途中観光しながら車は大陸を進みます。街並みを過ぎると両側はトウモロコシのなだらかな畑が、また谷の部分には稲刈りした田んぼが延々と続きます。トウモロコシ収穫も終盤のようです。茎を鎌で切り倒し実を手でもいで肥料の空袋に入れ耕運機に引かせたトレーラで運び出す作業が至る所で行われていました。実を収穫した後の茎葉は火を点けて、葉や細い茎は燃やし、燃え残った太い茎は集めて住宅の横に家の形に積んで燃料として保存してあります。その葉を焼く炎と煙が至る所に立ち上り遠くが霞んでいます。その光景が遥か見渡す限り続き、その中に集落が点在しています。中国の長い歴史の中で耕せる土地は全て耕しつくして日本のような山林は有りません。川もありません。雨の少ない季節なのでしょうか乾燥の大地です。そんな中を1時間位走ると集落の間を抜けだんだん狭い道に入って行きガタガタ道を進むとトウモロコシ畑と田んぼの中にぽつんと一軒屋が立っていました。ここが旅の目的地「李兆顔の家」です。



 まさに大草原の小さな家そのものです。家は煉瓦つくりで中に入るとすぐに台所が有り大きな中華鍋の作り付けの竈があります。この燃料が前述のトウモロコシの茎なのです。台所からドアを開けると居室につながります。この部屋は50cm位の段が有る4畳くらいの靴を脱いで上がるスペースが両側にあり、この段の中に竈の煙や熱気を導いて床暖房になっていました。この床暖房の上に上がり日本から持って来たお土産の入ったトランクを開けると、家内がいつ買い揃えたのか日本のお菓子や食品の山。「これはあなた達が好きだったね」とか言いながら思い出話に花が咲くころにはお尻はポッカポカ、お母さんの手作りの料理も出来上がり50度のパイ酎で乾杯です。料理のメーンは家の脇で飼っている鶏の骨付肉の炒め物、季節料理の白菜の漬物と豚の血の炒め物、等等。日本で食べる中華料理とは違って本場の物はエネルギーが有りました。

 パイ酎も手伝ってお腹いっぱい料理を食べて床暖房の上に薄い布団を敷いて寝ました。お腹もポカポカ、背中もポカポカ、前夜の夜汽車の疲れも手伝ってぐっすり眠れました。翌朝、鶏の鳴き声と台所の料理の音で目が覚めました。床暖房は朝食の準備でもうぽかぽかです。李兆顔が洗面器に暖かいお湯を入れて来てくれました。それで洗顔しましたが水は捨てずにバケツにとっておきます。水は貴重なのでしょう。台所には水を貯める水瓶があり、その水ですべてを賄っています。日本のように蛇口から出た水を無駄にするようなことは有りません。また日本の家庭では家の中に物が溢れていますがここでは質素な暮らしぶりの様です。日頃の生活を反省しつつ外に出てみるとあたりは一面の霜でした。朝食を頂き、家の前にある、この家が管理している10haほどの湖でお父さん、お母さんが漁をするというので見に行きました。寒風が吹く中、小さな鉄の船に乗って二人漕ぎ出していきました。

 しばらくすると船一杯の魚を積んで戻ってきました。この日の漁獲量は250kgだったそうですがお父さんがバイクで町まで走り、「生けす」を積んだトラックを呼んできて引き取られて行きました。その中の一匹の鯉が夕食の食卓に並ぶことになります。私達と李兆顔は生けすのトラックに乗せてもらって現在、彼女が働いている病院のある町まで行きました。戦後日本人でこの町に来たのは私たちが最初だろうと思える小さな町でしたがお医者さんは気さくな方でした。また明るい性格の彼女が皆に親しまれているのが良く解りましたし、だから彼女の連れの私達にも気さくに接してくれたのだろう思いました。

 この町に来た目的はもう一つ有ります。中国に来て3日、風呂に入っていないので彼女が町のシャワー屋さんに誘ってくれたのです。ここでは水は貴重なので家庭に風呂は有りません。夏は湖や川で体を洗い、冬はシャワー屋さんを時々利用するのだそうです。今回は彼女が気を利かせてくれて個室を2部屋借りてくれ男女に別れてシャワーしましたが水が茶色く濁っていてここでの水の大切さを改めて感じました。

 家に帰ると食事の準備が出来ていました。メーンは昼間に獲れた鯉の料理です。卵を孕んでいてそれも一緒に調理されています。一番手前の黒い料理は蛙の姿炒めです。メスは卵を孕んでいて貴重だそうで、1匹が日本円で400円するのだそうです。どれも日本では食べたことがない物ばかりで戸惑ってしまいますが客をもてなす料理は皿の数が偶数で4皿より6皿、6皿より8皿と言う事でこの料理は最高の「おもてなし」の様です。中国訪問も随分回を重ねましたので、食材に対してあまりびっくりしなくなりました。50度のパイ酎で乾杯しながら蛙に頭からかぶりついても平気になりました。

 そんなこんなで床暖房でポッカポカ。ぐっすり休んで翌朝梅河口市まで出て土産物を皆で選んで買い、夜行寝台列車に揺られ、帰途につきました。

 今回、紙幅の関係で書けませんでしたが、中国の研修生、御家族、親せきの皆さんが皆集って熱烈歓迎してくださり、また私達の我儘な旅行計画を実現してくださり本当に感謝しています。今回の旅行では生の中国に接することが出来、両国の文化、生活習慣の違いを肌で感じました。しかし国籍は違っていても楽しい時は楽しい、悲しい時は皆悲しいと言う事も実感しました。これからも中国の「老朋友」の皆さんとは長く親交を持ちたいと思いますと共に今後も中国、或いは他の国から我が家に研修に訪れる青年に対して人間として接していきたいと思っています。
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