AUTHOR : 山本倫大 / 東京でサラリーマンをしていましたが、2013年就農しました。

最近のエントリー

過去のエントリー

2017年
1月(1)
2016年
1月(1) 2月(1) 3月(2)
5月(1) 6月(1) 8月(3)
10月(2) 11月(1)
2015年
1月(2) 2月(1) 3月(1)
4月(3) 5月(2) 6月(2)
7月(2) 9月(4) 11月(3)
12月(3)
2014年
1月(5) 2月(4) 3月(4)
4月(3) 5月(3) 6月(3)
7月(2) 8月(1) 9月(2)
10月(4) 11月(2) 12月(1)
2013年
2月(5) 3月(3) 4月(1)
5月(2) 6月(3) 7月(2)
9月(5) 10月(2) 11月(1)
12月(5)

タグ

6月頭に鴨放鳥の様子をお伝えして以来田んぼの状況をブログに書いていませんでしたので、これまでの田んぼの様子をダイジェストでご紹介します。

鴨の様子


6月12日
放鳥して1週間程経ちました。もうだいぶ田んぼの環境に慣れて、全面を自在に泳ぎ回ります。



6月20日
稲がだいぶ伸びて鴨が隠れるようになってきました。鴨も大きくなってきて、体の色もヒナの黄色から成体の白色に変化してきます。


7月9日
肉付きが良くなり、まるまると太ってきました。いつも鴨がたむろするところは稲が踏み倒されて 合鴨ホール が出来ています。



7月頭に、野犬か狐によって鴨が大量に殺されてしまいました。2日間で合わせて約40羽程の鴨が死んでしまいました。
朝、いつものように田んぼを見回り鴨の様子を見ると、田んぼの中に点々と白く鴨の姿が見えます。はじめは、いつも通り異常ないなと思うのですが、よく見ると動きが無いので、慌てて近づいてみると鴨はすべて死んでいるという状況で事態を把握します。田んぼに入って鴨の死骸を回収するときには、夜通し野犬に追われて惨い死に方をした鴨にごめんねと謝りながら回収しました。害獣から守れず申し訳ないという思いで一杯で、辛い気持になります。
例年通り、腰くらいの高さのネットと電線で田んぼ全体を囲って電流を常時流しているのですが、あらためて田んぼを見回ってもそんなに防御が甘い箇所はなく、どうやって侵入したのかいまいちわかりません。


被害にあったあとは、田んぼを囲むネットを若干補強し、鴨が夜に休む小屋の周りにセンサーライトを取り付けてみました。
動物の体温を感知してライトが光るアイテムです。


幸い、これ以降は被害はなく、7月23日田んぼの草取りの仕事の任期満了によって、鴨を田んぼから引き揚げました。


ヒナのときには同じ小屋で過ごしていたのですが、田んぼに放鳥するときに分かれていた鴨たちが再び合流して同じ囲いの中で過ごします。 このまま10月頭まで約2ヶ月間飼育します。



稲の様子


7月9日
鴨を放鳥してから約1ヶ月の間、人も田んぼに入って草取りをします。稲がだいぶ茂ってきました。


7月19日
田植以来田んぼには欠かさず水を溜めていましたが、すべての水を抜いてひびが入るくらいまで地面を乾かす「中干し」という工程に入ります。 数日干したらまた水を入れます。


8月2日
もうすぐ穂が出る頃です。


8月7日
穂が出始め、花が咲きます。



最近はだんだん穂が黄色みがかってきました。今はまだ実が入っていないので穂が軽く垂直に立っていますが、これから実が充実してくるにつれ次第に穂が重くなり頭を垂れるようになります。今のところ順調に育っているので、あとは台風などで倒れないよう祈ります。



地割れの様子


以前、4月の熊本地震の直後の田んぼの地割れの様子はこのブログでもご紹介しましたが、本震から数ヶ月後の余震の積み重ねの影響で田んぼに新たな亀裂が発生していました。
どうも田んぼに水が溜まりづらいと思い、7月下旬田んぼの周りをぐるっと見回りしていたら10メートル程に渡って田んぼの畦際に地割れが出来ていました。



深さ50cm程の大きな亀裂(穴)ができて、そこから水がどんどん抜け落ちていました。


もともと田んぼの地表より高かったコンクリート畦が沈下し、田んぼの地表面より下になってしまいました。


土を運んできて亀裂を埋めて、なんとか応急処置をしたのでひとまずはお米づくりに影響ありません。
このまま状況が悪化せず収穫を迎えられるよう祈ります。

おんだ祭り

6月には、これでもかというくらい毎日大雨が続きましたが、7月は毎日暑い晴れの日が続いています。

7月28日に阿蘇神社の例大祭「御田植新幸式」通称”おんだ祭り”が実施されました。

『おんだ』と呼ばれるこの祭りは、阿蘇大明神が阿蘇開拓と農耕の道をひろめた神徳をたたえ、年々の豊作を祈るもので、藩政時代には細川侯の名代が参向する唯一の祭りでした。明治以降も阿蘇神社の例祭とされ、年に一度御仮屋に大規模な神幸をされる重要な祭り。神幸式にはお伴として、神々の昼飯持ちである白衣の宇奈利(うなり)、獅子、田楽、早乙女、四基の神輿、田植人形などが、古式ゆかしく神幸門から出立、阿蘇の青田を巡り、途中ではおんだ歌がうたわれ、還御門に戻ってきます。 青々とした、阿蘇の田園の中をゆったりと進む神幸絵巻は、盛夏の阿蘇谷にいにしえの古式ゆかしい絵巻を見るような感激を与えてくれます。

出典: 阿蘇市ホームページより

この神幸行列の中の獅子は、毎年阿蘇市の各地区持ち回りで人員を出して担当しているそうで、今年は私たちの地区の番でした。 地区から20〜40歳くらいの若い男が20名くらい参加し、僕も獅子として神幸行列に参加してきました。 今までこの神幸行列を見たことはほとんど無く、初めて経験する事が多くて新鮮でした。

こちらは神様の食事を運ぶ宇奈利(うなり)さんです。
全員女性です。目元以外はすべて白布で覆い隠した揃いの装束が神秘的です。
おんだ祭の事がテレビや雑誌などに載るときにはほとんど必ずこの宇奈利さんの写真が使われる、おんだ祭りの顔と言っても良い役どころです。
道中たくさんのカメラマンがいますが、その一番のお目当てが宇奈利さんです。


そしてこちらが僕たちが担当した獅子です。
雄雌2つの獅子頭と、その獅子を追う団扇の役をメンバーで交代しながら取り組みます。
獅子頭が50メートルくらい走って、その後から団扇も追いかけるという見せ場もたまにあります。
順番的には宇奈利さんの後を歩くので、あまり宇奈利さんに近づきすぎると沿道のカメラマンから邪魔だから距離を開けろというクレームがつきます。あまりカメラマンには人気のない役です。


他にも神官や、神輿など、いろいろな役が後に続きます。
神輿はかなり重そうで、担ぎ手の人は、試合後の野球のピッチャーくらいに肩が膨らむ程の肩当てをしていました。



一般の観衆が、神輿に稲の苗を投げつけるのが特徴です。
詳しい事はわかりませんが、苗が落ちずに神輿に引っかかると良いそうです。


道にはたくさんの住人の方が出てきてくれました。家の前で冷たい麦茶をふるまってくださる方もいて、本当に助かりました。
獅子頭で沿道の子供たちの頭を噛んだりしました。 ほとんどの子は親の腕に抱かれたままおとなしく噛み付かれていましたが、中には激しく泣く子もいました。 そして1人だけ逃げ足のはやい子がいて、その子はだいぶ走って追いかけたのですが噛み付けませんでした。

行列は昼前に神社を出発して町中を練り歩いたあと、5時過ぎに帰ってきます。


まだ、地震で倒壊した楼門や拝殿が痛々しい阿蘇神社ですが、こうして例大祭は賑やかに行われました。
沿道の人が神幸行列を眺めるとき、しばし地震の事は忘れて心から楽しんで見物しているのがよくわかりました。
地震直後に神社の楼門が壊れたときは、何とも言えないこの世の終わりのような絶望感や喪失感がありましたが、こうしてお祭りが賑やかに続いているということに希望を感じました。




最近の猫たち
家の外で背中をけがして以来クロはずっと外に出さず家で暮らしていますが、晴れた日などは人の目が届く範囲で庭に出してあげます。 写真は、草むらでくつろぐげんとクロです。どこにいるかわかりますか?

鴨放鳥2016

5月下旬にはもうトマトもだいぶ大きく育ってきます。



6月に入った最近では実も大きく膨らんできてトマトらしくなってきました。
5月頭の定植以来、毎日トマトの手入れがつづきます。いまから収穫の日が楽しみです。


5月18日と25日には鴨のヒナが、大阪から宅急便でやってきました。
段ボールから出すと元気に走り回ります。


水場に行って早速水浴びをします。この最初の水浴びをすることで体の油腺という器官が発達して、水をはじくようになるそうです。

餌もモリモリ食べます。


鴨を小屋で育てながら、その間に田んぼに水を溜め代かきして田植えをします。
地震の影響で水路が壊れたり、田んぼの中に地割れが出来たりと、一時期は作付けできないのではないかとも思いましたが、水路を修繕したり田んぼの地割れを避けて中畦を作って出来るだけ作れるところは作るように努力しました。
写真は田植機で田植えする様子です。

田植機に乗るオペレーターは機械を操作するだけですが、その他にも、苗を育苗ハウスから運び出して田んぼに配るのに人手がいります。
苗が詰まった苗箱は、水をたっぷり含んだ土の層なのでとても重く、それを何百枚も運ぶのでかなりの重労働です。
田植機が畦に近づいたら苗を手渡して補充します。


田植えが終わったらすぐに田んぼを囲む鴨保護用ネットを設置する作業に着手します。
まず田んぼの外周に支柱を立て、ネットを広げて支柱に固定します。さらに、鴨がネットの下をくぐって脱出しないようにネットの端を土に踏み込んで塞ぎ、また、空からカラスなどが侵入しないように黒色の釣り糸(テグス)を田んぼの上に張り巡らします。こうしていろいろな設備を1週間くらいかけてすべての田んぼにとりつけ、鴨を守る準備が整ったらようやく鴨を田んぼに放します。
6月3日から順次放鳥を始めました。

はじめは隅っこの方で固まっています。

しかし、しばらくすると自在に田んぼの中を泳ぎ回り、虫や草を食べてくれます。
集団であちこち田んぼの中を泳ぎ回ってくれる事で、土を足ひれでかき混ぜ、発芽したての雑草を断つのに役立ちます。
こうして農薬を使わない除草ができるのが合鴨農法の最大の特徴です。

こちらは田んぼの中で泳ぎ回る鴨の様子です。すごく元気ですね。

しばらくして陸に上がったら、ちゃんと毛繕いして体を掃除します。

実は今日の雨と低気温で鴨が弱ってしまったので、田んぼから一旦引き上げて回収し、鴨の飼育小屋に戻しました。
早めに手を打ったので幸いほとんどの鴨がすぐに元気を取り戻しました。
まだ体が小さいので、この時期の鴨はデリケートです。 お米づくりの大事なパートナーなので、様子を見ながら大事に育ててゆきます。
まだ田んぼデビューしたてで頼りないですが、今後の活躍に期待です!
前回のブログからだいぶ時間が経ってしまいましたが、4月と5月前半の事について書いてみます。

4月2日と7日の2回に分けてトマトの鉢上げをしました。
小さい苗を仕入れて、土を入れ準備しておいたポットに植え付けてゆきます。



4月前半には田んぼの畦を塗り直したり、肥料ふり、荒起こしなど米作りの準備も徐々に始めました。

そして今年秋に植える次期作のイチゴの苗の準備も始めます。
苗をつくるポットに土を詰めてゆきます。

4月中頃にはトマト苗もだいぶ大きくなり、毎日の水やりがはじまります。



そしてこの頃、熊本地震が発生しました。
寝ていたのでぼんやりとしか覚えていないのですが、ベッドごと揺られて何が起きているかわからず現実だと信じられない気持だったと思います。 すぐに家から出て、建物からはなれて車の中で夜を明かしました。
翌朝5時頃起きて、家に戻ってみるといろいろなものが落ちたり倒れたりしていました。 人的被害や、大きな建物被害などが無かったのが不幸中の幸いでした。



外に出てみると、いつも使う道路にヒビが入って割れていたり、阿蘇山から煙が出たりしていました。



水、ガス、水道が止まっていたので地域の人が集まり水道管を直すなどしましたが、結局水が出るまで丸2日かかりました。
それまでの間は近所の湧き水を汲んできて、その水で過ごしました。

ガスはプロパンガスだったので、取り外してガステーブルにつないで煮炊きをしました。 また、電気が無いので暗くなる前に夕食を済ませようと、午後3時には食事の支度をして食べました。

まだ揺れが頻繁に続いていたので車の中に布団を敷いて寝ました。

地震の翌朝にはイチゴのハウスの中からは数カ所から突然水が湧き始め、朝ハウスをみてみると水浸しになっていました。
地面に溝をつけてハウスの外に向けて水路を造って、水がハウスの中に溜まらないようにして応急処置をしましたが、結局この湧き水は、その後3日間で続けてやっと止まりました。

毎朝続けていたイチゴの収穫も、JAの選果場や運送トラックなどの関連機関が機能停止し、収穫しても出荷する先がないという状態で、地震後2日間は収穫出来ませんでした。イチゴは毎日収穫しないと、すぐに熟れ過ぎて腐ってしまい、株自体がだめになってしまいます。
3日目からやっと収穫を再開して、とりあえず配れるところに配るということではじめました。
5日目頃からJAが荷受けを始めましたが、選果のスタッフの方も出勤できないのでパック詰めは各農家で済ませて持ち込む必要が有ります。普段はJAに選果とパック詰めを委託しているので、スタッフ一同ほとんど初めてまたは久しぶりにパック詰めをしました。 2~3回はこうして収穫・選果・パック詰めをしたのですが、普段しない作業なのでとても時間がかかってほとんど1日つぶれてしまいます。
家の片付けなど毎日の生活の再建、トマト植えや田んぼの準備など農作業が忙しくなってくるという事もあり、これ以上は収穫は出来ないと判断しイチゴは例年より1ヶ月程度早く収穫終了としました。


そんなこんなで過ごしていましたが、毎年4月後半から5月いっぱいはトマトの定植(地面に苗を植え付ける作業)と田植えがあり、農作業が1年で一番忙しい時期です。続く余震の中トマトのハウス内に肥料を入れて耕し、灌水チューブやマルチ、支柱を準備してトマトを植えます。







また、お米の方も籾種を塩水選し、温湯消毒、水につけて、その後苗箱に種まきしました。



例年この時期まで続けているイチゴの収穫がないおかげで作業はいつもより前倒しで進み、はかどりました。


ゴールデンウィークを中心に、お米の注文もたくさんいただき、例年の半年分くらいの在庫量がほとんど1週間程度で完売してしまいました。
お米は収穫が年に1回しかないので、10月に収穫予定の新米までホームページは売り切れとさせていただいています。
購入いただくお客様の中には震災復興支援という事でお仲間数十名でお金を出し合って当社のお米やジャムなどをまとめ買いしてくださる方もいらっしゃいました。ありがとうございました。 また、多くのお客様やお取引先様から暖かいお見舞いのメッセージをたくさん頂き、本当にありがとうございました。
こうしていろいろな方が熊本・阿蘇のことを心配してくださり応援してくださるのが励みになり、毎日の生活再建と農作業の両立も乗り越える事ができました。心より御礼申し上げます。ありがとうございました。


最後に猫についてですが、地震直後にはびっくりして家の外に飛び出して2日間くらい帰ってこなかったのですが、しばらくすると戻ってきてくれてみんなを和ませてくれました。





いまでは、ほとんど元通りの生活を取り戻しつつあります。
大変ご心配をおかけしましたが、引き続き作物の生産に頑張って参りますのでどうぞよろしくお願いいたします。
阿蘇では、毎年3月に入ると野焼きがあります。
そして、野焼きが終わった頃続いて阿蘇神社で火振り神事があります。
今日はこの2つの火に関する行事をご紹介します。

野焼きは、阿蘇市を囲む外輪山と阿蘇山の草原地帯の草を焼く行事です。
昨年秋に生えた草は冬を経て枯れて乾燥しています。これに火を放つと一気に火が燃え広がります。古い草をこうして燃やす事で春の新しい草の芽吹きを促す効果があると言われています。

阿蘇市の各居住地域ごとに管理を担当する草原が決まっていて、自分の住む地域の各戸の皆さんと一緒に作業します。うちの地区は大観峰周辺の草原を担当しています。

大観峰の展望所に集まり、そこから草原に入ってゆきます。

観光客の皆さんも何が始まるのかと草原に入ってゆく野焼き隊を見守ります。

下の写真の手前部分は草が刈り取られてありませんが、奥の部分は背の高い草が繁っています。この背の高い部分が燃やす予定のエリアで、手前の草が無いところは火が燃え広がらないように事前に草を切って作った幅4メートル程度の防火帯です。
バーナーで所々火をつけてゆきます。

野焼きの日まで、しばらく雨がふっていなかったので草がよく乾いていて 、すぐに火は燃え広がります。


まれに、防火帯の方に火が燃え広がろうとすることがあるので、竹で出来た火消し棒を使って延焼を食い止め、防火帯を守ります。


勢いが良いときには10メートル以上もあるような大きな火になります。

そして、傾斜が急で移動するのがなかなか大変です。40度くらいはありそうな急斜面を上ったり下ったり繰り返します。

焼け跡は一面灰だらけです。

でも、よく見ると焼けているのは表面の草だけで、地面付近はほとんど燃えていません。これは、草は一瞬で燃え尽きて隣の草にどんどん火が燃えうつることから火が通過するスピードが非常に早いため、地面付近が燃やされるヒマがないためです。
そのため、土に住む微生物や地表付近の植物などを焼き殺す事無く、生物の多様性が守られます。



阿蘇神社の火振り神事は、阿蘇神社12祭神の三の宮国龍神と姫神の結婚の儀式のクライマックスで、参道で火をつけた草の束を回すという行事です。

火振り神事は有名な行事ですが、僕たち夫妻は阿蘇に住んでいながら記憶のあるうちではほとんど初めて行きました。

はじめに太鼓の演奏がありました。

そして火をつけてまわす草の束がこちらです。

参道脇にたくさん積んでありました。持ち手の縄を編むのはさぞ大変だったろうと思います。

しばらくして日が暮れると草の束に火がつけられ、火振りが始まります。



有名な楼門を背景に火ふりする人を撮れるスポットにはローアングルでカメラを構えるカメラマンがたくさんいました。
背中に灰をかぶりながらの撮影大変そうでした。ご苦労様です。

女性の方や外国人の方も積極的に火振りされていました。日常生活では絶対出来ない行為ですが、この行事だけは特別です。老若男女問わず火を回せる珍しい行事です。



ねこ近影
ゲンはおおむね元気そうですが、今日からくしゃみが出始めてちょっと心配です。クロは今日背中の手術痕の抜糸をして、傷口も順調にふさがってきています。だいぶ動きも元気が出てきたように感じます。よかったねクロちゃん!