阿蘇についてAbout ASO

私たちあそ有機農園があるのは、熊本県阿蘇市です。

平成17年の町村合併で、当時の阿蘇町、一の宮町、波野村の3町村が合併して誕生しました。 年間を通して冷涼多雨のため、稲作や野菜の栽培に適し、昔から農業が盛んです。また、九州屈指の観光地として有名で、観光業も主要な産業です。

雄大な自然の恵みと、人の手で1000年間守られてきた草原など他には無い特筆すべき特徴がある土地です。

阿蘇の地形 〜カルデラ地形〜

阿蘇は「カルデラ地形」という外周を山に囲まれた地形をしています。外輪山という標高800~1,000mの山が円形に取り囲む中に、標高約500mの平坦な土地が広がっていて、その中央に阿蘇山(標高1,300~1,500m)が聳えています。人が住んでいるのは、外輪山と阿蘇山の間の平地(盆地)の部分で、阿蘇山より北側が「阿蘇谷」、南側が「南郷谷」と呼ばれます。阿蘇市があるのは北側の阿蘇谷です。

日本のカルデラ地形で最大のものは、北海道の屈斜路湖カルデラ、その次が阿蘇カルデラです。次いで3位は、鹿児島県桜島北部の海にあたる姶良カルデラです。阿蘇は、大型のカルデラ地形にもかかわらず盆地に水が溜まっていない珍しい土地で、古くから人が生活してきました。地中からは土器が出土し、古墳などの遺跡も多数残っています。今日に至るまで、この地には多くの市民が生活しています。

カルデラ盆地の中に3万人近くの人が暮らし、国道や鉄道が走っている例は世界でもこの阿蘇だけです。
この自然環境と、そこに人が住まう歴史と文化は、50年以上前から環境省の阿蘇くじゅう国立公園に指定され、2014年にはユネスコ世界ジオパークにも認定されました。

阿蘇山

阿蘇山は、カルデラの盆地中央にある以下の複数の山岳の総称です。

根子岳、 高岳、 中岳、 杵島岳、 烏帽子岳 の5つを特に阿蘇五岳と呼び、他に、 楢尾岳、 往生岳、 米塚 があります。阿蘇山は登山家の深田久弥によって日本百名山に選定され、烏帽子岳には一等三角点が設置されています。

阿蘇谷北側の外輪山から阿蘇山を見た様子は、釈迦が寝ている姿(涅槃像:ねはんぞう)に見えるとされ、阿蘇に住む人にとって古来から信仰の対象であり、今でも心のよりどころとなっています。

千年草原

阿蘇山の裾野と外輪山には、広大な草原が広がっています。草原の草は非常に利用価値が高く、牛の餌となり肉や乳になったり、畑に肥料として入れれば野菜になったり、茅葺き屋根の素材として建築にも利用されています。あそ有機農園でも、土に草原の野草を混ぜて肥料として活用しています。

この草原は、1000年以上前に拓かれ、今に至るまで人の手で維持されてきました。草原は、放っておくと次第に低木の薮が生い茂り数年で雑木林になってしまいます。ですから、毎年私たち地元住民が草原を維持管理しています。2013年、この阿蘇の持続的な草原管理とそれを中心とした農業文化が世界農業遺産に認定されました。

  • 3月、野焼き

    草原に火を放ち、古い枯れ草を焼き払うことで、春に若草が芽吹くのを促します。急な傾斜地を歩き回る危険が伴う作業です。

  • 4月、芽吹き

    若草が芽吹きます。草は牛の放牧で餌になり、秋には酪農家が大きな機械で刈り取ってロールにして運び出します。

  • 9月、輪地切り

    次の野焼きの下準備です。野焼き対象エリアの外周に沿って草を切り、幅5m程の防火帯をつくります。

豊富な水資源

阿蘇は湧き水や河川などの水資源に恵まれています。
お米や野菜づくりには欠かせない、きれいな水が豊富にあります。


湧き水
南郷谷の白川水源(名水100選)や、阿蘇谷の役犬原・宮地など、十指に余る複数の湧水があります。あそ有機農園のトマトとイチゴは、役犬原の湧き水を毎日の水やりに使っています。
河川
阿蘇谷を流れる黒川と、南郷谷を流れる白川が主要な河川です。この二つの川は西に向かって流れ、外輪山の西端で合流した後、熊本平野を貫通して有明海に注ぎます。合流後は白川(しらかわ)と呼ばれます。白川は長さ74km、流域面積480㎢の一級河川で、下流部に熊本市があり、流域内人口13万もの人が利用する重要な河川です。
水源地
阿蘇地方は白川のほかにも、北部九州の重要な河川の水源地となっています。九州最大の河川である福岡の筑後川(流域面積2,860㎢)をはじめ、菊池川など多くの河川が阿蘇から流れています。
採水地
日本有数の水質と水量があることから、サントリーサッポロビールといった大手メーカーの採水地や工場があります。

神話

阿蘇には大昔の神話時代の伝説が数多く残っています。

健磐龍命(タケイワタツノミコト)
より九州統治のために派遣された神様で、開拓神、農耕神、阿蘇火山の自然神としても崇められ阿蘇神社の主神として祀られています。阿蘇大明神の名でも親しまれています。 健磐龍命は「日本書記」に登場する阿蘇津彦(アソツヒコ)ともいわれ、阿蘇という名前は、この阿蘇津彦(アソツヒコ)、阿蘇津媛(アソツヒメ)という二人の神様に由来するとされます。
「日本書紀」にはこう書いてある。景行天皇がこの広々とした土地へ来て、誰にも会わないので、「この国に人がいるか」と呼ばわったところ、「われら二人がおります」と、アソツヒコ、アソツヒメの二神が現われた。「忽ち人ニ化シ、以テ遊ビ詣ル。」そこでアソという地名がおこったという。(深田久弥「日本百名山」新潮社 より)
阿蘇開拓
大昔の阿蘇は外輪山に切れ目が無く盆地には水がたまっていたとされ、健磐龍命はこの水を無くして田畑を作ろうと考えました。そこで外輪山の一角を蹴破ろうとしましたがなかなか破れません。この場所は山が二重になっているから蹴破れなかったのです。今では「二重の峠(ふたえのとうげ)」と呼ばれています。
健磐龍命は、違う場所で再挑戦すると今度は見事、外輪山を蹴破る事に成功しました。このとき、尻餅をついた命は「立てぬ」と叫びました。このとき命が蹴破り外輪山に切れ目のある土地は、今では「立野(たての)」と呼ばれています。
こうして健磐龍命によってカルデラ内の水が抜かれ広大な平地が出現し、人が住めるようになりました。
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