農園だよりDiary

2023年2

2023.02.08
 皆さんこんにちは。

 アッという間に1月が通り過ぎ、いつの間にか2月がやって来ました。年末から寒い日が続き、1月後半には10年に一度という寒波に見舞われ、阿蘇山は例年になく、ずーっと雪を被っています。そんな中、珍しく暖かく晴れた1月8日、集落恒例の「どんどや」が行われました。古くから伝わる行事で、火に当たると無病息災に過ごせるとか言われますが何もなかった昔、大人から子供まで皆で集まって正月飾りを焚き上げ、温まりながら皆で餅を焼いて食べたり、酒に燗をつけて飲んだり、細やかな娯楽だったのではないでしょうか。以前はもっと大きな「どんどや」だったのですが皆の体力に比例して規模も小さくなりましたが、それでも「ぜんざい」や竹筒の燗酒で温まり、いい正月の行事を楽しむことが出来ました。

 この間テレビでアメリカの自給自足の生活スタイルを守る「アーミッシュ」の人の暮らしに共感して田舎暮らしを始めた家族の話が流れていました。60年前、私が子供の頃、正に田舎は自給自足の生活だったようです。家電製品は何もなく、隣家がテレビを買ったのは私が保育園の頃。その頃はどこの家にも鍵が無く、誰でも出入り自由。特に子供はフリーパスでした。挨拶だけはちゃんとして上り込みスウィッチを入れ、「チロリン村とクルミの木」とかいう人形劇を見ていたような記憶があります。その後、我が家にテレビがやってきたのは東京オリンピックの時。学校から帰りスウィッチを入れてもテストパターンの時間帯がありましたが鉄腕アトムやいろんな番組、未知の情報が流れて大人も子供も別世界を覗いて感動し、ドラえもんの道具だった事でしょう。

 食生活は特に自給自足です。米、野菜、豆類、卵、川魚。鶏は別格としていろんな組み合わせにより沢山の普段の料理が食べられてきました。塩サバ、クジラ肉、煮干し、海から遠い阿蘇では塩蔵や乾物、安価に手に入るクジラ肉が御馳走でした。味噌、納豆、豆腐は自家製。特に納豆は冬の間、稲わらで「ツト」(草冠に包)を作り柔らかく煮た大豆を入れて保温しておくと藁についている納豆菌が繁殖して出来上がり、餅につけて食べると格別でした。ついでに冬になると母がくず米を蒸して甕に仕込み「どぶろく」を作りました。何でも私の祖父が好きで、毎年作っていたのを見て覚えたようです。昔の酒は防腐剤が入っているとか言われていましたので、我が家ではご先祖さんの代から有機に対する気持ちがあったのか、あるいは単に酒好きだったのか今では知る術もありません。そんな現代人から見ると貧しい質素な食生活の時代、乳牛を阿蘇で初めて飼い始めた叔父の家に行くと「牛乳豆腐」とかいう物を食べさせてくれました。牛乳を搾るためには子牛を産ませなければなりません。最初に出る「初乳」は子牛の胃や腸を綺麗にするために下剤の役割をしますから人は飲めません。それを子牛から少し分けてもらい温めて酢を加えると凝固します。今で言う「カッテージチーズ」です。煮しめや漬物ばかりの暮らしの中でまるで別世界の、今まで味わったことのない驚きの味だった記憶があります。初めての時にはあんなに感動したのに、2回、3回と食べていくうちに感動も半分、1/4になり、やがて煮しめや漬物と同じレベルになってしまうのは恐ろしいですね。テレビの次にやって来た家電製品あるいは農業機械。最初はあんなに感動したのにやがて感動は薄れ、有るのが当り前になりました。テレビで紹介された食べ物も心が砂漠化したのか初めて食べても感動しなくなりました。子供の頃、あんなに感動したカッテージチーズも普通の食材になりましたがその原料を作る酪農家が日々、牛飼いに努めながらも餌の高騰で喘いでいる姿もテレビで流されました。

 社会が成熟し分業化した現代。いろんな物の生産現場が見えなくなりました。米櫃の蓋を開けたらまだまだ有るようですがカップですくったら底に当たった。牛乳も米もパンも野菜も豆も、全て米櫃の底に僅かに残っているのが現状です。有るのが当り前の感動のない社会は悲しく、また危うい事です。
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