農園だよりDiary

2024年12

2024.12.11
 皆さん今日は。

 阿蘇では、あんなに暑かった夏から秋を通り越して冬になりました。Tシャツから長そでになり、上に羽織らなくても過ごせたのが、いきなりジャンバーがいるようになりました。体も服も準備が整いません。先月の農園だよりでも紹介しましたが今年は秋の気温が高くて霜も降りず、稲の「ひこばえ」が枯れずに実り、穂が熟して稲刈りをしてもいいくらいになりました。暮れにお送りしています野菜セットの野菜は例年、気温も下がり虫の活動も治まった頃に育つので農薬いらずですが今年は虫がやたらに多く、白菜は「ダイコンハムシ」と言う、テントウムシの大きさと形をして紺色の虫に食べられてしまい穴がたくさん開きました。穴のあいた葉は取り除いてお送りしようかなと思っています。今年の白菜は小さいかもしれませんがご勘弁ください。初霜は11月20日に降りました。最近は温暖化で遅くなっていて、以前と比べると1か月遅くなっています。また、11月28日にはいきなり阿蘇山が冠雪し、6合目まで白くなりました。

 今年も皆様には大変お世話になりました。「令和の米不足」と言われ、これほどお米に注目が集まったのは平成5年「平成の米騒動」と言われ、国中がパニックになった事件以来の事です。平成の米騒動はフィリピンのピナツボ火山が噴火し噴出物が成層圏まで達し太陽光線を遮った事で夏の気温が上がらず記録的な米不作になりました。国内消費量より生産量が少なかった為にアメリカやタイから緊急輸入が行われました。タイ米はカレーなどに合う粘り気がないお米なので評判が悪く、他の国が当てにしていたお米を日本は経済力で買い取りながら命をつなぐ食糧を食べずに無駄にして海外から顰蹙(ひんしゅく)を買った経緯があります。また暖かい石垣島で本土の春の種まきに間に合うように種もみ生産をし、農業では禁じ手の種もみまでも食糧にしました。歴史は繰り返すと言われます。30年後の今年、米不足が起こりました。30年前みんな食糧の大切さを痛感したはずなのに、しかし30年の時間は人間の一世代ですから記憶としては残っていなかったのでしょうね。その当時、日本は経済絶調期。必要な物はどこからでも買ってくれば良いという風潮が国中にみなぎっていました。日本は工業国だから高い国内農産物を買うより、工業製品を輸出してその利益で安い海外農産物を輸入すればいい。日本に農業はいらない。そして令和の米不足が起きました。令和の米不足は一応終息したようですが店頭価格が上がって消費者物価指数を押し上げていると批判されています。野菜も品不足です。一般にこの不足は不作や夏の高温が原因と言われていますが、この10年で農家減少により、すべての農産物生産量が30%以上減少しているのだそうです。先ごろ農水省が「2030年には2020年と比べて農家戸数は半分になり、農地の35%は減少する」と発表しました。農業の現場にいると全くうなずける数字です。阿蘇でも私の周りの農家の子は家を出て、他の職業に就いています。父親は異口同音、「自分の代で終わり」。その農地を借りて耕す人もいません。日本全国同じ状況でしょう。これからどんどんこの問題は進行し、農産物は高くなります。

 日本ではスーパーに行けば、ありとあらゆるものが欠品もなく並べられ不自由なく暮らせます。日本では当り前ですが、テレビでは戦火の下、瓦礫の中で食べる物もなく飢えに苦しむ人。母親の胸に抱かれながらも痩せ細り、うつろな目の赤ちゃんが映し出されます。日本の歴史の中でも飢餓、飢饉、戦後の混乱があり、そして皆があたり前と思っている現在の日本の食卓があります。30年前。世界のどこかの火山が噴火した事で食べ物がなくなり国中が慌てふためきました。こんなことはいつ起きても不思議ではない事で、私達があたり前と信じていることは実は人類の歴史の中で奇跡ではないでしょうか。白菜ひとつ思うように育てられない。これが自然界の現実です。
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