農園だよりDiary

2025年2

2025.02.05
 皆さんこんにちは。

 ついこの間、年が明けておめでとうと言っていたのに、もう1月が終わりました。阿蘇ではこの時期らしい寒い日があるかと思えば、上着が要らない暖かい日もあります。例年、1月後半から2月にかけて阿蘇でも積雪があります。先週は朝から大粒の雪が降り始めましたが日が昇るとすぐに降りやみ、わずかに積もった雪は直ぐに解けてしまいました。九州人にとって雪景色は格別なもので嬉しいものです。朝、通りを歩いていたら南国ベトナムから働きに来ている若い娘の自転車グループが冷たい雪が降る中、ワイワイ歓声をあげながら仕事場に向かっていました。彼女たちにとって初めて見る雪だったのでしょう。

 今はあまり積もらなくなりましたが子供の頃、朝起きると冷たい空気が張り詰め、軒先にはツララが下がり外は銀世界。大雪になると小学校は臨時休校になりました。近所の一つ年上の修ちゃんと近くの田んぼで雪だるまを作りました。雪が多くて二人で転がしていたら大きくなりすぎ、頭の部分を上にあげられません。計画変更して大きな雪玉を3つ作り、寄せてその上に雪を乗せて小山を作り、スコップで中をくりぬいて小さな「かまくら」を作りました。田んぼの土が混じりまだら模様で、雪国の真っ白で立派なものではありませんが丸一日をかけて二人で作った大きな宝物でした。手袋は濡れてびしょびしょ、体も冷え切っていますが嬉しさいっぱいで心は満たされていました。家に帰り、暖かい五右衛門風呂に入ると指先が急に温められてジンジン。体も温まり、夕飯には正月の餅が入った母が作った「ぜんざい」。私の大好物です。家族みんなで食卓を囲み、お腹も心も満たされた懐かしい雪の日の思い出です。数日後、周りの雪が解け、雪の塊のかまくらは厚みが薄くなり、中に混じった土がかさぶたのように張り付き、私たちのかまくらに対する気持ちも薄れ、いつの間にか融けてなくなりました。わずかに土が盛り上がって痕跡だけが残っていました。

 あれから60年。世の移ろいとともに農家の暮らしも変わりました。近所に沢山いた子供の姿はなく、必ずどこからか聞こえていた歓声、泣声はありません。通りには遊びに興ずる子供の姿とともに、腰を下ろし道端会議のお年寄りの姿もありしたが、今は青年はいるのにお嫁さんがいなくて、沢山立っていた五月の鯉のぼりもめっきり少なくなりました。道端会議をしていた世代は、まだまだ忙しい現役農家です。

 今の子供は何をして遊でいるのでしょうか。廃校になった私が通った小学校グラウンドでは夜間照明が灯され子供たちがサッカーや野球の練習をしています。子供たちも大変ですね。昼間は学校の先生に指導され、夜はスポーツ指導員に指導され、フリーな時は大人が作ったゲームソフトの枠内で時間をつぶし、それが当たり前と思って育っていく。これが「今流」(いまりゅう)なのでしょう。

 一番変わったのはボタン一つでお風呂にはいれる事です。小学校の頃、お風呂沸かしは私の仕事でした。五右衛門風呂に水を溜め、薪で沸かすのですが硬い木にマッチで火をつけるには段取りがあり、また薪は空気が通るように焚口に入れなければよく燃えません。そんな手間のかることをみんなが知っていたからこそ、物のありがたさが分かったのでしょう。また手間がかかることを、ボタン一つで出来ることが分かるからこそ、便利さが分かるものです。昔、母が竈で作った「ぜんざい」は、前日からお盆の上で小豆を選別し、明日は「ぜんざい」かな、「おはぎ」かな。期待で嬉しいものでした。今はスーパーから買ってきたあんこで作り、便利になりました。竈の煙の匂い、掘りごたつの炭の匂いもなく、家の中は綺麗なものですが生活臭がないのはさみしいものです。

 私たちの暮らしは快適になりました。そして子供たちはそれが当たり前になりました。辛い物を口にした後だからこそ甘さが嬉しいものです。
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