皆さん今日は。
毎日暑かった盛夏も過ぎ、自然の約束通り朝夕には秋風が吹くようになりました。先月号では稲穂が綺麗に出揃いましたとご紹介しました。ピンと立っていたその稲穂は実り、日に日に頭を垂れ、早朝には朝露を浴びて益々重そうに垂れています。今年の夏の適度な雨と日照、そして朝露による水分補給で稲の生育は良いようです。稲刈りまであと1週間。農家としてやるべきことはやりつくしました。台風11号が接近、その後も続いてくるかもしれませんが最後のひと踏ん張り、米粒がもう一回り大きくなるよう、あとは神仏に願うのみです。
先日の9月1日は「二百十日」。一般に「防災の日」として知られていますが阿蘇地方では「お宮参り」と称して集落うち揃って、阿蘇神社、霜神社、風宮さん、お稲荷さん等を巡り、大風が吹かないよう、早霜が降りないよう、豊作であるよう、お参りできるお宮は全てお参りし、神頼みしたものです。そしてその後はお酒の会。ところがここ数年は新型コロナの為お酒は取りやめ。それならお宮参りもやめようかとなり、左党にとっては「つまんねえ」時代になってしまいました。農作業はしっかりやり、皆で集まった時には一杯。農家の楽しみなのですが・・・・。ところがこんな時代が以前にもありました。私がまだ子供の頃。父が「今日は田の消毒ばしたき晩酌はやめとこ」。戦後の食糧増産時代、「パラチオン(ホリドール)」という稲の害虫を皆殺しにする有機リン系殺虫剤が登場しました。当時農薬に対する知識も低かったし、防護服、マスクも無かった時代、全国でこの薬を散布後に沢山の農民が農薬中毒でなくなりました。口、目から皮膚からも体内に取り込まれ神経阻害が原因だそうです。「消毒」ではなく「加毒」だったのです。そういう事があり父は好きな酒を控えていたのでした。この薬は1971年に使用禁止になりましたが弱毒の有機リン剤は次々に開発され使用されました。私が小学生の頃、稲の育つ時期にはヘリコプターによる航空防除が何回か行われました。風がない早朝、丁度登校時間の頃、小学生が通学道にいるのに真上から薬が撒かれるのはしばしばでした。当時、薬の怖さよりヘリコプターの方が珍しく逃げもせず上を見ていた覚えがあります。それから時代が進み有吉佐和子の「複合汚染」を経て農家を継いだ頃、農協青年部の活動により航空防除がなくなり、小学生は安心して登校できるはずでしたが米が農家の主な収入源だった時代、農協や県の害虫発生予察により「地上一斉防除」と称して作付面積に応じた農薬が注文もしないのに配達され、シーズンに何度も農薬散布をさせられ、小学生は農薬が舞う中、息を止めて走って登校し、農家は相変わらず晩酌はご法度、悲しい時代でした。
私が34歳の時、合鴨農法を始め、以来31年。米あまりの時代になり、阿蘇の農家も米つくりに対する意欲を無くし、少しくらいの害虫や病気の発生には驚かなくなりました。元来田んぼにはクモや、そのほかの多様な昆虫がいます。害虫とされる虫もその一員で自然界のバランスによりコントロールされているはずです。農薬を撒けばバランスが壊れます。農家の意欲減退によりその事実が証明され、瓢箪から駒でしたね。現在、阿蘇地方では除草剤は別として田んぼに農薬を撒く人はいません。しかし全国的に見ると、人に害がないとされる「ネオニコチノイド」農薬が使用されています。農家にはやさしいけれど食べる人にはどうなのかまだ解らない薬です。
阿蘇地方では皆が薬を撒かなくなりましたが米の収量は変わりありません。農家の意識変化により地域全体が変わりました。農協では農薬使用が少ない事を前面に打ち出して安全性を売りにした「阿蘇コシヒカリ」ブランドが生まれました。お陰で弊社の田んぼも農薬の影響を受けない栽培が出来ます。そして何と言ってもみんなが農薬による健康被害の事を心配せずに我が家で、あるいは集まってお酒を飲み、語り合える環境にあるのが良いです。早くコロナをコントロールできる世の中になるのが待ち遠しいですね。